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坂手神社

式内社の坂手神社(さかてのじんじゃ)は、一宮市佐千原に鎮座する「坂手神社」と稲沢市坂田町に鎮座する「貴船神社」の二説があるが、式内社調査報告では、「新編一宮市史」を引いて、「佐千原はもと佐手原といったこと、本國帳に佐手原天神と記すものあることなどからみて、佐千原説が妥当であろうと考えられる」としている。

「坂手」は地名に由来して、「佐千原」は、古くは「佐手原」と書かれ、これが「坂手」となったと考えられている。

江戸時代中期には「八剣宮」と称した。

【所在地】

坂手神社は、一宮市佐千原宮東91に鎮座する。

佐千原・高田・西浅井・東浅井などは、近世には葉栗郡に属したが、古代・中世には中島郡に属し、郡域の変更は天正年間の木曽川の河道変更にともなうものと考えられている。

佐千原の集落の東北端に位置して、神社の東方を大江川が流れ、神社の南方を日光川が流れる。

神社のすぐ北には富塚の集落があるが、その集落の中心部に富塚古墳があり、これは浅井南古墳群の一つである。

【祭神】

現在の祭神は、「高水上神(たかみなかみのかみ)」とされているが、式内社調査報告では、「式内社としての本来の祭神は、未詳とすべきであろう」としている。

高水上神というのは、伊勢神宮内宮の摂社「坂手国生神社(さかてくなりじんじゃ)」や、末社「石井(いわい)神社」などに祀られている灌漑を守る水上の神様であるそうだ。

【由緒】

このあたりは昔、大神宮の神領で、尾張国佐手原御厨といわれたそうで、倭姫命が神鏡を奉じて美濃国伊久良河宮から尾張国にお出でになった時、坂手神を祀り、樹木を伐らしめ大神宮の仮殿をお造らせになったと伝えられている、ということで、伊勢神宮とのかかわりが強いようだ。
【社殿】


社殿は南向きに建ち、拝殿、廻廊、渡殿、祭文殿、本殿と立派な社殿が続く。

拝殿前の左右に樹齢百数十年の御神木の楠がある。


拝殿正面の向拝には菊の紋がつく。


拝殿正面の蟇股には、いくつかの神社でも見られるが、何を象徴しているのかよくわからない意匠の飾りがつく。


本殿は流造りで、千木・鰹木はない。


本殿屋根にも、蟇股にあったのと同様の紋がつく。

【参拝記】

2011年1月30日、一宮の北部地域にある式内社や八剣神社を訪ねて歩いた時、野見神社から次は式内社の「坂手神社」へ向った。

名鉄今伊勢駅のほうに戻り、以前浅井古墳群を訪ねて歩いた道をまた歩いて名岐バイパスを横切り、県道152号にでて北上すると、県道沿いに坂手神社の大きな一の鳥居が西向きにあり、

鳥居をくぐってちょっと行くと、南向きに二の鳥居が立ち、不浄除の透垣がある。


透かし塀の向こうには、立派な石造りの「神橋(しんばし)(太鼓橋)」がある。


橋には、「鯉の滝登り」の飾りがつく。


境内には、東向きに、「坂手大神」と刻まれた大石が祀られている。


天王社の赤井鳥居の奥に、神石の「磐境石(いわさかいし)(おばれ石)」が祀られていて、丹塗りの「天王社」が祀られている。


境内末社は、向かって右から「八幡宮」・「八剣宮」・「富士社・春日社・住吉社」が祀られている。
 

ここから次に、式内社の「宇夫須那神社」に向かった。